テイラーの「科学的管理法」の「哲学」は現在でも通用する

テイラーの「科学的管理法」の「哲学」は現在でも通用する

 

先週は、突発的事項がありお休みしてしまいました。週に一回だけでもこのようなブログを書き続けるのは大変なことだ、と痛感しました。なるべくこのようなことがないようにしたいと思っていますので、後押しの声援よろしくお願いいたします。

ずっとテーラーの書評が気になっていました

今回は、前々から気になっていた|新訳|科学的管理法: フレデリック W.テイラー を読んで考えたことについてです。

この本を読んだ理由ですが、あちこちで「テイラーは誤解されている、現象だけで批判され本質が理解されていない」という声を聞いていたからです。

この本の前書きにも、野中郁次郎先生がこの本が絶版になっていることを嘆かれていたとありますし、ドラッカーも日経BPクラシックス マネジメント 務め、責任、実践2 (NIKKEI BP CLASSICS): ピーター・ドラッカー で次のように述べています。

”仕事は時代を超えて人類の関心の的であったが、体系的な研究が始まったのは19世紀の末になってからである。フレデリック・テイラーが有史以初めて、体系的な観察と研究に値するものとして、仕事に光を当てたのだ。テイラーが提唱した「科学的管理法」の恩恵により、何よりも、この75年間に豊かさが目覚ましく広がり、先進国においては、労働者の生活水準は従来のどのような層をもー富裕層をもーしのぐ水準までに引き上げられた。テイラーは、労働科学におけるアイザック・ニュートン(あるいはアルキメデス)に相当する人物だが、あくまで最初の一歩を踏み出したにすぎない。”

テーラーは「仕事」の効率向上に貢献したが、「労働」を強化したと誤解されている

ドラッカーの評はチャップリンの「モダンタイムズ」を引用してなされる巷の悪評とは相容れないように見えますが、その差はどこから生じるのでしょうか?その源は2つあるように思われます。

ひとつはドラッカーの言っている「仕事」と「労働」は分けて考えるべきだということでしょう。

ここで「仕事」とは「靴づくり」のような特定のアウトプットを作り出すことに関わる内容を指すものです。たとえば「靴」そのものは昔から大きく変化していません。その結果、道具や求められる技能は大きく変化したものの、皮革の準備、裁断、成型、縫製、接合という「靴づくり」に求められる「仕事」は変化していません。

これに対し、「労働」は「働き手」の「仕事」への関わり様を指すもので、働き手の「肉体」活動を必要とするとか、働き手の「熟練」を必要とする等のことから、肉体労働、熟練労働、知識労働、等の表現が発生しています。

人々がより豊かに満足して暮らせるようになるためには、「仕事」の「生産性」を向上させ、同時に「労働」する「働き手」の「達成感」を満たす必要があります。

テイラーは、前者の「仕事」の生産性を向上させることに貢献しその時代を豊かにしたのですが、「働き手」に関する体系的な研究はテイラーより後の20世紀になってようやく進み始めました。

ドラッカーに従えば、モダンタイムズ等は「労働」に関する問題を指摘しているのであり、それを以てテイラーを批判するのは当たらないとすべきなのでしょう。

良くある話だが、「メカニズム」だけが一人歩きし「哲学」が置いて行かれた

もう一つは、テイラーの「哲学」と「メカニズム」を分けて評価すべきだということです。この点についてはテイラー自身も次のように書いています。

”とはいえ、科学的管理法がここまで発展を遂げる中、警戒すべき問題もある。管理のメカニズムを本質や哲学と混同してはいけないのである。同じメカニズムもを用いても、悲惨な結果に終わる場合もあれば、非常に高い成果につながる場合もある。(中略)これまで多くの人が科学的管理法のメカニズムと本質を取り違えてきた。”

このメカニズムの代表的要素が、今日の言葉で言う作業研究や時間研究です。

作業研究とは、作業を分析し基本動作を特定することです。基本動作を理屈に沿って調整の取れた順番に並べ替えることにより、生産性を向上させることが可能になります。

時間研究は、「ある程度経験を積んだ作業員」の各動作にかかる時間を(ストップウォッチで)計測するものです。それをもとに標準時間を設定し全員がそれを遵守できる方法を考案することにより、全体の生産性を向上させられます。

モダンタイムズを援用した批判はこのストップウォッチ計測に向けられることが多いのですが、「ある程度経験を積んだ作業員」の選択が適切であれば、この批判は当たらないことになります。逆にこれを間違えれば、テイラー自身も懸念する悲惨な状態を招くでしょう。

テーラーの「哲学」とは

別の批判は、作業研究や時間研究は肉体労働に適用されるものであり知識労働中心の現代には適さないとして、「科学的管理法」は古いとするものです。

確かに、テイラーの開発したメカニズムは時代を反映して肉体労働を対象にしたものが多いですが、「哲学」そのものは肉体労働に限定されるものではありません。

テイラーの「哲学」は「科学的管理法以前の最善のマネジメント」と「科学的管理法」を対比することにより理解できます。

「科学的管理法以前の最善のマネジメント」とは以下に示されるようなものです。

  • 現場の働き手はマネージャーよりも高い技能を備えている(現場の作業は長い経験を必要とする高度なものなのでマネージャには理解できない)
  • それ故、作業のやり方は作業者本人が決めるのが最も望ましい。すなわち、仕事のやり方は部下の「自主性」に任せる(その結果、ノウハウや効率的作業方法は現場の口コミで伝わる)
  • 現場で「自主性」を引き出すのは簡単ではないので、そのためにインセンティブを使う

このマネジメントの成否は「自主性」が引き出されるか否かにかかっているのですが、テイラーはその時代に横行していた組織的な怠業を問題視し、それに代わる次のようなマネジメントの仕組を構築することにしたのです。

  • 一人ひとり、一つひとつの作業について、従来の経験則に代わる科学的手法を設ける
  • 働き手が自ら作業を選んでその手法を身につけるのではなく、マネージャが科学的な観点から人材の採用、訓練、指導を行う
  • マネージャが部下達と力を合わせて、新たに開発した科学的手法の原則を、現場の作業に確実に反映させる
  • マネージャと最前線の働き手が、仕事と責任をほぼ均等に分け合う。かつては実務のほとんどと責任の多くを最前線の働き手に委ねていたが、これからはマネージャーに適した仕事はすべてマネージャーが引き受ける

この考え方は現在の製造工場では常識と言ってよいと思いますが、テイラーの時代には、「自主性とインセンティブを柱としたマネジメント」が信仰のように受け入れられていました。このためテイラーは周囲の反目に耐えながら、自らの主張の正しさを数々の実験を通して裏付けていったのです。

テーラーの「哲学」は古くない: 知識労働の営業にも当てはまる

前置きがものすごく長くなりましたが、本日の主題はテイラーのこの主張が現在でも有効だということです。ただし、対象はテイラーの時代に中心であった肉体労働ではなく、現代の付加価値生産の主軸を担う知識労働です。

営業をマネジメントする (岩波現代文庫): 石井 淳蔵 という本に、営業活動が複雑になってきた世界における「属人営業」と「組織営業」が対比されていますが、これが「テイラー以前」と「テイラー以後」にぴたりと当てはまります。

伝統的な営業法では「営業はアートである」という意見が主流派で、営業個人の才覚に任せインセンティブで個々の営業のやる気を引き出しています。まさに、「自主性とインセンティブを柱としたマネジメント」を実施しているのです。

世間では「営業を管理などできるものか!」という反発が数多く聞かれます。一方で、私が所属したIBM等、営業プロセスを整備した組織的な営業で成果を上げている企業も数多くあります。この状況は、テイラーが生きた時代に工場労働に関して議論が交わされた状況と非常に似ているように見えます。

「仕事」の効率化は知識労働の世界でも進むことを想定しておこう

ドラッカーの引用で触れたように、肉体か知識かというのは「労働」に関わる事項であり、ここで検討すべきは「仕事」です。

世の中の経験が蓄積されると、あるいは「仕事」そのものに要求される内容が複雑化し手に負えなくなると、「仕事」のやり方そのものが見直されパラダイムが変わるというのはしばしば起こることです。

例えば、私が就職したときの仕事のかなりの部分はプログラミングでした。その頃(70年代初め)には、プログラミングはブッラックボックスで職人の領域でした。

その後経験が蓄積され「ソフトウェア工学」という科学的方法が発達しました。(私自身がその分野の研究者でした。)開発ソフトウェアの巨大化によりその傾向が加速され、いまや科学的管理をしていないと見られた企業は競争に勝ち残れません。

勿論すべての分野が科学的管理に移行するものではありません。しかし、私が暮らしてきた研究者やコンサルタントと言う極めて生産性が低くそれゆえプロと呼ばれる世界にも、もし経験の蓄積が進めば営業と同じ議論が起こるでしょう。

そのような世界にいる人たちこそ、このようなパラダイム変化を予測してそれに備えておく必要があるのではないでしょうか?テイラーの「哲学」は、そのような視点からも現在でも有効だと思います。

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